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第43回 ネットワークは右手に技術、左手に政治、心に愛



1998年10月号 UNIX USER誌掲載「ルート訪問記」の過去記事

第43回 ネットワークは右手に技術、左手に政治、心に愛

今回は、新潟インターネット研究会(NISOC) [注1] の本間誠治
(ほんま せいじ)さん、金 東虎(きむ とんほ)さん、吉田健一
(よしだ けんいち)さん、神保道夫(じんぼ みちお)さんを訪ね
ました。なお、この取材は、本間さんが経営されるプロバイダ「新
発田ネットワークサービス [注2]」のオフィスにて実施させてい
ただきました。


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[神保道夫さんからの新規メッセージ]

県央インターネットは、現在ではOCN 1本に回線を統一し、より地
域に密着したサービスを提供しております。例えば、地元企業の方
にバーチャルドメインサービスを提供したり、新発田ネットワーク
サービスの本間さんとも協力して、学校や公共設備等でのインター
ネット利用に関する、様々な活動を行っております。

仕事の方が忙しくて、NISOCの活動や、PC-UNIX方面での活動はなか
なかできておりませんが、何かありましたら、メールで御連絡くだ
さい。(1999.8.8 神保道夫、karl@nisoc.or.jp)

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[吉田健一さんからの新規メッセージ]

  うちに関しては。あれからマシンも増えまして,マシンが5台,4
ドメインに増えました。また、DNSだけおいてあるのが3つ、サブド
メインが1つで、なかなか壮絶です;-)。かげで知人から
YDH(Yoshida Domain Holdingの略称らしい)という、ありがたいん
だかよくわかんない称号もいただきました。
(1999.8.11  吉田健一)

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[NISOCの事務局長、稲川久美子さんからの新規メッセージ]

* 1998年秋〜冬のNISOC

 ルート訪問記の取材が終了し、よしださんが新潟を去ってから
(1998.7.12)、しばらくは残暑をだらだらと過ごす日々が続きまし
た。ああ、この会も年をとったなあ・・と感慨に浸るのも束の間、
12月に忘年会合宿をするということになり、新潟県の北「胎内温泉」
へ。いつもの宴会、パソコン関連物々交換会、板金(注)、でもやっ
ぱり酒、白熱する討論、翌朝の吐き気をこらえての勉強会・・と、
充実した合宿となりました。

注:板金

  そのへんからパーツを購入してきて、GPSシステムを手作
  りしてました。筐体を削ったり、はんだ付け作業をしたり・・
  結局、この日は完成しなかったのですが、その後どうなったかは
  不明。

* 「インターネット災害訓練」の実施

 新潟地震から35年目の1999年6月16日には「インターネット災害
訓練」を行いました。訓練の概要は地元紙にも大きくとりあげられ、
有事におけるインターネット利用への期待の大きさを感じました。
近日中にレポートをWEBページにて公開する予定です。
(http://www.nisoc.or.jp/)

* 新しく女性会員が増える!!

  女性会員が少なくてさびしい思いをしていたのですが、あれから
2名増。ルート訪問記の記事内に「スーパールート度診断テスト」
などを載せていたし、またしてもディープなイメージを増長させた
のではないかと懸念していたのでほっとしました。類は友をよぶ・・
すばらしいですね。会員随時募集中!

* NISOCの進む方向は?

さて、今後の活動の方向なのですが、よくわからないというのが正
直なところです。インターネットが大衆化する中で、何を研究して
いくのか、原点に戻るのか、それともただの宴会研究会になるのか?
会員の固定化・高齢化が進み、だんだんと動きが鈍くなって行く様
を見ていると、これからの活動の行く末が案じられる今日この頃で
す。シルバーNISOC結成なんてのもいいかも。;-p

(1999.8.10  稲川久美子)
==========





*自分の住む町に快適なネットワーク環境を!

私(以下Y):まずは、今日おじゃましている新発田ネットワーク
サービス誕生の背景から教えていただけますか。

本間さん(以下H):1995年ごろに、インターネットが少しずつ注
目され始めた時期がありましたね。当時、私が勤めていた会社(新
潟の大手コンピュータ総合会社)で、「社内にインターネットを入
れるべきか」についてアンケートをとったんです。「まだ早すぎる」
という意見が大半だったのですが、私が会社を説得し、インターネッ
トに接続するための準備を始めました。

 そのころ、全国には着々と大手プロバイダが進出していましたが、
アクセス・ポイントのない新潟はインターネット後進県となってい
ました。そんな中、「新潟市にも、InfoSphere(NTT PCコミュニケー
ションズ)のアクセス・ポイントができる」というウワサを聞いた
のですが、新潟市の優先順位はとても低く、実際に開通するのは1
年以上も先のことでした。そのため、「うちの会社が利用するから、
順番を早めてほしい」とInfoSphereに直接掛け合ったぐらい、イン
ターネットへの思い入れは強くなっていたのです。

 その後、新潟市で利用できるプロバイダはいくつかできてきたも
のの、私の住む新発田市にはアクセス・ポイントが1つもなく、よ
く「新発田市にもアクセス・ポイントが作れないか」と相談される
ようになりました。

 そこで、下手な人がアクセス・ポイントを作り「回線が込んでい
る」とか「サービスが悪い」ということで下火になるぐらいなら、
自分で運営したいと思ったのです。最初は会社を説得し社内プロジェ
クトとして新発田市でプロバイダ業務を始めましたが、現在では独
立して新発田ネットワークサービスを経営しています。

Y:新発田ネットワークサービスの自慢は何でしょうか。

H:回線数を十分に用意しているため(図1)、「接続できなけれ
ば、ユーザーのPC(設定)のせいだといいきれる」ことと「学校と
先生の接続料金を一般の6割程度にしている」ことです。

Y:新発田ネットワークサービスのWebサイトには、リアル画像中
継「新発田にもどれない方のために」と題するページ
( http://www.inet-shibata.or.jp/11.html )があり、新発田の
町の風景を24時間中継されていますよね。あれは、どういう仕組み
なのですか。

H:この部屋から外に向けて置いてある、いわゆる監視カメラ
(AXIS NetEye200)で中継しているだけです。定価が15万円程度の
カメラ本体の中に、Webサーバー機能とネットワーク・カードが入っ
ていますから、設定はカメラ自体をイーサネットのケーブルでハブ
に接続するだけです。

Y:カメラ自体がIPアドレスを持っているのですね。IPアドレスの
設定には、DHCP [注3] が使われているのですか。

H:いいえ。IPアドレスは、arpコマンドで設定します。メーカー
から提供されるソフトウェアを使えば、ただ映像を流すだけでなく
画像データをディスクに保存することも可能です。去年、夏祭りの
中継を行ったときは、データを保存しました。


*メンバーが一体となりイベントを実施

Y:次に、新潟インターネット研究会は、どのように誕生した団体
なのか教えていただけますか。

金さん(以下T):’94年、私が仕事の都合で新潟に住むことにな
り、日本UNIXユーザー会(jus)の活動を通して以前から知り合い
だった佐藤友治さん(当時新潟在住)と連絡をとったのがきっかけ
でした。また、新潟にあるパソコン通信SIN-NETには、インターネッ
トの話題を扱う会議室がありました。このようないくつかのつなが
りを結びつける形で、 ’94年8月、新潟大学工学部のマシンを非
公式にお借りしてメーリング・リストでの情報交換をスタートしま
した。’94年10月には、新潟国際情報大学情報センターで初めての
顔合わせが実現しました。その後、定例部会を開くようになり、 ’
95年2月に会則を策定して正式に任意団体として発足したのです。

 新潟インターネット研究会(Niigata Internet Society:NISOC
「ナイソック」)という名称は、日本語、英語、略称とも私が命名
したものです。英語名はSocietyとなっていますが、これは
Internet Society(ISOC「アイソック」)にあやかったもので投票
によって決定しました。

吉田健一さん(以下K):’97年8月からは独自サーバー
(sanmon.nisoc.or.jp)を立ち上げており、新発田ネットワークサー
ビスに置かせてもらっています。本間さんも新潟インターネット研
究会の会員ということで、とても良心的なハウジング料 [注4] に
なっております。

神保さん(以下J):このサーバーのインストールおよび基本的な
設定は、私が行いました。「普段から利用している」という理由か
らFreeBSDが使われており、その上でWeb/mail/rc5の各サーバーが
動いています。

T:部会の種類には、月に1度の定例部会と今年から始まった技術
部会があります。定例部会は、毎月第1土曜日に公民館で実施 [注
5]しています。一方、技術部会の方は毎回場所を変え [注6]、ネッ
トワークや機材の使えるところで実施しています。

K:定例部会は会員以外でもよいのですが、技術部会は会員だけし
か参加できません。その分、毎回濃い内容となっています。

 たとえば、第1回の技術部会では、「外部からのアタックに関す
る検証」を行いました。NCSA系列のhttpd(Apache httpdを含む)
のPHFというCGIにセキュリティ・ホールがあるといわれていたので、
不要なマシンにApache httpdとPHFを入れてローカルなネットワー
クを構築し、実際にアタックしてみました。

T:アタックの手法は古典的でありふれたもの、いわゆる入力文字
列の中にシェル・コマンドを付けて送信するというものです。とこ
ろが、なかなかうまくいきません。実は、現在のパッケージにも問
題のPHFプログラムは含まれているのですが、当然のことながらセ
キュリティ・ホールはすでにふさがれていたのです。そこで、古い
パッケージを何とか探し出し、無事にアタックは成功しました。

K:第2回は、「NISOCのサーバー・マシンの組み立て」でした。
このときの様子は、デジタル・カメラで詳細に記録されています。
ちなみに、このマシンには側面がワンタッチで外れるメンテナンス
しやすいケースが使われています。まあ、サーバーにそのような上
等なものを使うのはもったいないような気もしますが……。ほかの
部品はDOS/Vショップでかき集めてきたもので、4.3Gバイトのハー
ドディスクを2台使っています。この2台は、副会長の酒井 仁さ
んのポリシーによってミラーリングではなく、毎日午前7時にddコ
マンドでダンプしています。

 その次の第3回は、「私のところ(Giga Stream [注7])のメー
ル・サーバーが落ちた事件」の直後に「メール・サーバーが落ちた
ときに、いかにして素早く復旧するか」というテーマで実施しまし
た。

T:技術部会は決してセキュリティ分科会ではないのですが、その
ときどきの旬のネタを取り上げていると、どうしてもセキュリティ
関連の話題になる傾向にあります。先日も、「某サイトの某マシン
が何者かに侵入されて、ルート権限を取られてしまった」という事
件を聞きつけると、さっそくそのマシンを隔離して現状保存しても
らい、「どういう手口で侵入に成功し、さらにルート権限が獲得で
きたのかを調査する」というワークショップを実施しました。



*IAA訓練やインターネットセミナーの実施

J:その他のイベントとしてはIAA訓練 [注8] やRC5への参加、そ
して定期的にインターネットセミナーを実施しています。

 IAA訓練はWIDEプロジェクトのLifelineワーキング・グループ主
催のもので、 ’95年1月17日に発生した阪神大震災を教訓に、毎
年1月17日に実施されています。 ’98年の第3回の実験会場は新
潟と神戸の2か所に設置され、新潟での実験を新潟インターネット
研究会が担当しました。

 また、新潟インターネット研究会は、Team NISOCという名前で
RC5 crackingコンテスト [注9] にも参加しています。このコンテ
ストに参加するため、研究会のマシンでは代理の鍵サーバーを立ち
上げました。現在ではたくさんの方が利用されているようです。

 それからわれわれの主催でインターネット講習会を開いたり、市
の機関から委託されて年に数回「インターネット入門講座」の講師
もやっています。

Y:内部講師や外部講師による講演会を、「インターネットセミナー」
という名称で実施されていますね。

T:外部講師を呼んでセミナーを実施するようになったのは、 ’
95年4月8日、インターネットについて中野秀男先生に講演してい
ただいた [注10] のが一番最初でした。この講演もインターネット
中継しました。ただし、その時点では新潟に商用プロバイダが出始
めたばかりだったので、ISDNで東京のInfoSphereに直接接続してネッ
トワークを構築しました。別の場所で2回、会場で1回リハーサル
を行うなど、準備には念を入れたのですが、肝心の本番ではうまく
つながらず、技術責任者であった私は大きな挫折感を味わいました。

 もちろん、中野先生の講演の方は大成功で、その翌年の’96年に
は村井 純先生の講演会 [注11] を実施しました。 ’97年7月には、
日本シスコシステムズの桜井 豊さんにきていただきました。これ
らもすべてインターネット中継しています。

K:今回(’98年7月11日)のインターネットセミナーでは、内部
講師として金さんに「ドメイン名をめぐる最近の話題」を、外部講
師としてよしだともこさんに「システム管理について」の話をお願
いしました。

 このセミナーは、7月10〜12日に開催された新潟県高度情報化推
進協議会主催のイベントの1つとして、新潟インターネット研究会
が開催したもので、われわれは主催者側からの依頼でその他のイベ
ントに対してもReal Videoを使ったインターネット中継を担当しま
した。

J:われわれは、過去に何度もインターネット中継を実施していま
す。一番最初がReal AudioとCU-SeeMe、次にRealAudioだけで何回
か行い、そして今年はRealVideoで中継しました。中継技術に関し
てはほぼ確立されたことから、今回は1つのサーバー(エンコーダ)
で2つの場所に送るような新しい技術(スプリッタ)を試してみた
かったのですが、予算的なこともあって実施できませんでした。

 ちなみに、今回の中継では、自分たちが普段使っている中継機材
(ルーターも含む)を持ち寄って実施しました。自前のマシンと試
用版のソフトウェア、そして日当タダの人間によるインターネット
中継です。

K:主催者側からは、昼食を用意していただきました。大変おいし
かったです。

J:インターネット中継は技術がなければできませんし、機材にし
ても自前でこれだけ集められるところなど、ほかにはあまりないと
思います。それぞれの足りない部分は、研究会の約40名のメンバー
に対して、メーリング・リストで流せばたいていは何とかなってし
まいます。

K:新潟インターネット研究会には、プロバイダ関係者や回線の仕
事をされている方、ルーター系の会社に勤めている方など、あらゆ
る分野の方がおり、協力体制ができ上がっています。とくに、われ
われが感謝しないといけない1人が本間さんでしょう。今回のイン
ターネット中継のダイヤルアップ先が、本間さんのプロバイダでし
た。

 また、新潟でこういった活動や仕事を進めていく場合、必ずどこ
かで新潟インターネット研究会のメンバーがつながっています。
「お互いが協力することで、活動や仕事が行いやすくなる」という
よい流れが確立されているのです。

J:私の場合も趣味が仕事にも役立ち、仕事が趣味に役立っていま
す。勤務先でも地域プロバイダ [注12] としてネットワーク・サー
ビスを行っています。

T:システム管理という仕事は、趣味としてやる分にはこれほど楽
しいものはないですね。でも、仕事として責任を持ってやろうとす
ると、これほどつらく苦しいものはありません。きっと、若いうち
にしかできないものでしょう。

 それはともかくとして、一昔前に比べれば「システム管理という
業務がいかに重要で、いかにスキルを要するか」という認識はずい
ぶん高くなってきたと思います。それでも、各所の話を見聞きする
と、まだまだシステム管理という職種が専門職としての確固たる地
位を得ていないことが多いようです。


*スーパー・ルート度テストを作ろう!

Y:ところで、今回外部講師として「よしだともこ」さん(笑)を
呼んだ理由を教えていただけますか。

K:すでに、村井 純先生まで呼んでしまいましたから、ここ数年、
次にだれを呼ぶかは非常に難しい問題でした。この相談は、一時的
なヨタ話として盛り上がってはいたものの、いまいち決定打がない
というか、われわれがあんまり真面目に決める気がなかったという
か、そんな状態でずるずると時間だけが過ぎていきました。

 そんなある日、行動力のある事務局長の稲川久美子さんから「来
てもらえないかというメール [注13] をよしだともこさんに出して
みたら、快い返事がもらえました!」といわれたので、「じゃあそ
れでいこう。よしださんも面白そうじゃないか」と決定しました。

Y:昨日の講演では「システム管理とは?」という基本的な話を用
意してきましたが、聞きにこられた人はそんなこと当然知っている
人ばかりだったようで……。

K:講演で紹介された「ルート度診断テスト」は、以前、雑誌に載っ
たとき(’98年1月号)やりましたが、あのテストだとここにいる
ようなメンバーは全員ほぼ満点になってしまいます。

Y:うーん。より専門的な「ルート度診断テスト」、すなわち「スー
パー・ルート度診断テスト」を作らないといけませんね。

K:あとで考えてみましょうか(コラム)。


*ユーザー、テスターを経てFreeBSD(98)と98版XFree86の移植チー
ム・メンバーに

Y:神保さんと吉田健一さんは、クラブの先輩、後輩の仲なんです
よね。

J:はい。国立長岡工業高等専門学校で、吉田さんは電算機部の先
輩でした。ここにはUNIXいじり放題の環境があり、(当時)電算部
員は/usr/localの下などに自由にソフトウェアをインストールでき
ました。

K:’94年ごろの「UNIX USER」からCD-ROMが付属するようになっ
たので、CD-ROMの中のフリー・ソフトウェアをインストールして遊
んでいたのもこの時期です。

J:当時、私は自宅のPC-9801シリーズにアルバイトで稼いだお金
をどんどんつぎ込んでいき、日々パワーアップに努めていました。
多分100万円は軽く使ってましたね。そのため、’94年ぐらいにな
るともう買うものがなくなってしまい、今度は386BSD(98) [注22]
を入れて遊ぶようになりました。

 最初は、単に386BSD(98)のユーザーでしたが、その後、PC-9801
用FreeBSDのバージョン1のテスターをするようになりました。 
’94年の夏から秋にかけて、4.3BSDの版権問題でFreeBSDの配布が
止まった時期 [注23] もありましたが、その後、FreeBSDのバージョ
ン2の配布が再開されました。

 そのころ、すでにFreeBSD(98)移植チームが結成されていました。
これに参加しているうちにちょこちょことデバイス・ドライバを開
発するようになり、いつの間にか開発チームの仕切屋になっていた
のです。「そろそろ、新しいバージョンをリリースしませんか?」
が、だんだんと「このあたりでリリースしましょう。そのための作
業としては……」というような立場、いわゆるプロジェクト・マネー
ジャ的な存在 [注24] になっていました。

 その次に、PC-9801版XFree86の移植にも手を出しました。100万
円を軽くつぎ込んだ私のPC-9801にはアクセラレータ・ボードがさ
さっていたのですが、高解像度ではXが動きませんでした。非常に
残念だったので開発チームに参加し、動くようにしてしまったとい
う経緯もあります。

 さらに、 ’95年ごろには、NetBSD/i386のPC-9801への移植に手
を出しました。PC-9801版NetBSDは、「NetBSD/pc98」と記述します。
FreeBSDはPC/AT版が主流となるため、そのPC-9801版ということで
「FreeBSD(98)」と書きますが、NetBSDはすでに完成されているバー
ジョンを基に作業をしている関係上、正式には「NetBSD/pc98
(based on NetBSD 1.3.2)」と書く必要があります。ただ、一般
的には「NetBSD/pc98」で問題ないでしょう。ちなみに、PC-9801版
のLinuxは「Linux/98」と書きます。

Y:なるほど。FreeBSD(98)のますますの発展をお祈りしています。


*ログイン名5hedの謎!?

Y:ところで、吉田さんのログイン名が5hedの理由を教えてください。

K:昔、高専時代に「吉田」という文字列を日本語未対応のターミ
ナルで表示させると“5hed”と表示されることを知り、「これは面
白いな」と思い使ったのが始まりです。ログイン名だけでなく、パ
ソコン通信のハンドルとしても使っていました。

 これは、JIS X 0208で定められた「吉」のコードが“3548”で
「田」のコードが“4544”となり、この“35 48 45 44”はASCIIコー
ドで“5 h e d”に対応 [注25] するからです。

Y:吉田さんのところ(GigaStream)はOCNエコノミーでインター
ネット接続されているそうですが、内部のネットワーク構成を教え
てください。

K:基本的にルーターからイーサネットのケーブルが出て、そこに
マシンがつながっているという単純なものです。通常、1人で使う
ネットワークで、セグメントを分ける人はいないでしょう(笑)。

Y:金さんの自宅 [注26] もOCNエコノミー接続だということです
が、どのようなネットワークなのでしょう。

T:OCNエコノミーを利用した小規模サイトのネットワークは、
「ルーターにマシンがつながっている」という、どこも同じような
ものですよ。

 もちろん、大規模な会社ならきちんとファイアウォールを置くべ
きですが、小規模なところでは本格的なファイアウォールを導入し
て管理コストを増大させる必要はないでしょう。小規模サイトでお
勧めなのは、内部ではプライベート・アドレスを使い、ルーター部
でグローバル・アドレスとプライベート・アドレスの変換をする方
法です。これによって、プライベート・アドレスの部分は外部から
容易にアクセスできなくなり、簡易ファイアウォールともいえる運
用ができます。

Y:自宅にOCNエコノミーを引いている場合、毎月どのくらいの費
用がかかりますか。

T:まず、OCNエコノミーの費用が約4万円ですね。当然、サーバー
は24時間稼働なので、夏は常時エアコンをつけています。そのため、
電気代が非常にかかり、私は1人暮らしですが電気代は毎月1万円
以上、つまり4人の標準家族の平均よりも多くなります。


*人間は1日24本以上メールを書くべきではない!?

Y:昨日の懇親会 [注27] で金さんが、「人間らしい生活を取り戻
すためには、あまり多くのメールを書くべきではない」といわれて
いたことに興味を持ったので、それについて詳しく話していただけ
ませんか。

T:あれはですね、「人間は1日24本以上メールを書いてはいけな
い」ということです。さらに「24時間以内にメールの返事があるこ
とを期待されても困るから、わざとすぐに返事を出さないようにし
ている」というのもあります。メールが届いたときに、たまたま端
末に向かっていて即座に返事を書いた場合、ほとんどチャット状態
になりますよね。それはあまりよくない状態だと思うので、よほど
急いでいる用事以外は努めて翌日以降に返事を書きます。

 メーリング・リストの場合はもっと強い意志を持ち、1週間前や
1か月前、あるいは半年前の話題に、突然思い出したように返事を
書くようにしています。

 1日24本という数字の理由は、私が書いたメールは自宅のサーバー
にいったん蓄積されます。常時接続しているので普通は即時配送し
ますが、そこをわざと1時間に1本ずつしかメールが出て行かない
ように設定してあるのです。必然的に、「1日に24本より多くメー
ルを書くと破綻するシステム」になります。

K:金さんは賞味期限が過ぎているばかりでなく、ほとんど腐って
しまった話題、もう完全に集束してなくなってしまった話題に、突
然返事を書いてくることが多くて(笑)。

T:メーリング・リストで、「複数の人がチャット状態でメールを
交換するという楽しみ方がある」のは分かりますが、「ゆったりと
したペースで議論するやり方もあるのではないか」と思うわけです。
1日の間に何度もやり取りして結論を出してしまうようなメーリン
グ・リストばかりだと、それよりも遅いペースでしかアクセスでき
ない人がまったく参加できずに取り残されてしまうわけですよね。
それはよろしくない。もちろん、今日中に結論を出さなくてはいけ
ない議題の場合は別です。

 私が「1日24本以上メールを書かない」運用を始めたのは、自宅
にOCNエコノミーを引いて24時間アクセスの体制になったあとから
です。本当に1日24時間、寝ても覚めてもメールの返事を書くこと
に没頭してしまいそうな自分を抑えるためにも、そのようなポリシー
が必要になったのです。もし、24時間返事を書き続けたなら、さら
にさばききれないほどのメールが届く計算になります。

Y:なるほど。メールの読み書きによって、自分の時間が削られな
いように注意しないといけないですね。

 今日は楽しくて、しかもためになるお話をありがとうございました。


 なお、今回の記事は、新潟インターネット研究会の皆さまの多大
な協力によって完成しました。大変感謝しています。とくに、取材
のセッティングを初めとする、すべての手配や作業を担当してくだ
さった稲川久美子さん、取材の前日や当日の車での移動および懇親
会の幹事を担当してくださった玉木千太郎さん、そして同研究会会
長の羽柴正夫さん、ありがとうございました。

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コラム 

「スーパー・ルート度診断テスト」

 では、ここで新潟インターネット研究会から提供していただいた
「スーパー・ルート度診断テスト」を紹介しましょう。なお、同研
究会のWebページ( http://www.nisoc.or.jp/ )には、このテスト
の解説文が用意されています。

●本テスト

(1)自分のホーム・ディレクトリに役割を説明できないドット・ファ
イル [注14] が1つでも存在したら1つにつき−5点。lsコマンド
の“- a”オプションを知らず、“ls”とだけ入力して、「私のホー
ム・ディレクトリにはドット・ファイルはない」と思った人は−5
点。

(2)POPサーバーやNNTPサーバーと直接話をして [注15] 、メールや
ニュースの記事を読めるなら+10点。

(3)ping、ifconfig、traceroute、nslookupなどのコマンドを頻繁
に使う [注16] 人は+10点。

(4)どのような種類のマシンに触っても、そのマシンのキーボード
配列に体が順応する人は+10点。あるいは即座に自分の好みの配列
に設定変更できる人も+10点。Happy Hacking Keyboardなど、マイ・
キーボードを持ち歩いている人は、その「こだわり」に対して+5
点。

(5)lsコマンド以外で、ファイル一覧を調べられる注17人は+10点。
すぐに「odコマンド!」と答えた人は、さらに+5点(笑)。

(6)PATHにカレント・ディレクトリが含まれていたら-5点。同様に、
ルートのPATHにも含まれていたら-10点。

(7)学校、企業名を聞くとすぐにドメイン名が思い浮かび、その学
校や企業をついドメイン名で呼んでしまう人は+10点。聞いたこと
のないドメイン名を見聞きすると、無意識にwhoisコマンド [注18] 
で調べてしまう人はさらに+5点。

(8)sendmail.cfが自力で書けるため、「私にはCFなんていらないぜ」
という人は+10点。「sendmail以外のシステム(qmail注19やExim)
を使っているので、CFなんか関係ない」という人も+10点。

(9)fsck注20時の“fix?”という質問に、“no”と答えて自力で直
したことがあれば+10点。

(10)syslogやmessages、maillogなどのログをきちんとチェックし
てる人は+10点。ログを1日1回以上見ないと「気になって夜も眠
れない」、あるいは「毎朝、新聞を読みながらではなく、ログを見
ながらモーニング・コーヒーを飲むと精神的に落ち着く」人は、さ
らに+10点。


●おまけテスト

・酒に酔った状態でも“#”プロンプトでの作業を、間違いなくで
きた経験があれば+10点。

・「タバコをふかしながらマシンに向かった経験のある人」や「自
分の管理するマシン・ルームを禁煙、飲食禁止にしてない人」は−
50点。

・冬の寒い真夜中にマシンで暖をとった経験があれば+10点。

・「UNIX USER」誌を定期購読しているなら+5点。「創刊号から、
すべて手元に置いていますよ」という人はさらに+10点。毎号「ルー
ト訪問記」を楽しみにしているという人には、さらに10点サービス
(笑)!

・枝豆を食べるとき、薄皮もむいて食べられる注21人は+5点(笑)。


●判定結果

100点以上の方

 おめでとうございます。あなたは、新潟インターネット研究会公
  認のスーパー・ルートです。

50点以上の方
 あなたは、よしだともこ公認のルートといえるでしょう。

0点以下の方
 いますぐ「UNIX USER」誌の定期購読の手続きをとることをお勧
  めします。とくに「ルート訪問記」は欠かさず読みましょう。

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[注1]  新潟インターネット研究会

’95年2月、新潟県内でのインターネットの普及・啓蒙などを行う
個人ベースの団体として発足した。ドメイン名は、nisoc.or.jpで
ある。NISOCは正式には「ナイソック」と読むが、一部の人がこの
部分を「ニソク」と読んだことから、sanmonやwarajiというマシン
名が付けられた。同研究会の合言葉は、「ネットワークは、右手に
技術、左手に政治、心に愛」である。現在、会員募集中なので、興
味がある方は http://www.nisoc.or.jp/ を参照してほしい。


[注2]  新発田ネットワークサービス

新潟県新発田(しばた)市は、新潟市の東に位置する溝口氏10万石
の旧城下町。製鋼、紡織工業が盛んで、酒造業も有名。新発田ネッ
トワークサービス( http://www.inet-shibata.or.jp/ )はISP
(インターネット・サービス・プロバイダ)であり、新発田市以外
に村上市にもアクセス・ポイントを持っている。


[注3]  DHCP

Dynamic Host Configuration Protocolの略。TCP/IPを利用して通
信する場合には、IPアドレスやゲートウェイのIPアドレスなどを設
定しなければならないが、DHCPを用いることでこれを自動化できる。
あらかじめDHCPサーバー上にIPアドレスやデフォルト・ゲートウェ
イのIPアドレスを登録しておくことで、クライアントは起動時に
DHCPサーバーへアクセスし各種設定を取得する。


[注4]  ハウジング料

ハウジングとは、ユーザーのマシンをプロバイダなどに持ち込んで
設置するサービスのこと。一部の業者ではホスティングと混同して
いるようだが、ユーザー自身のマシンを持ち込むことは、正しくは
ハウジングである。


[注5]  公民館で実施

公民館は、新潟市民であれば無料で使用できる。定例会に集まるの
は10名前後であり、そのあとに実施される宴会がより重要のようだ
(宴会の席で決まる議案も少なくないらしい)。たとえば、RC5
cracking参戦も定例会ではなく、宴会の席で話が進み、翌日にはメー
リング・リストまで動いていた。


[注6]  技術部会の方は毎回場所を変え

技術部会の場所を変えて実施しているのは、「最近、車を買ったた
め、できるだけいろいろなところへ行きたい」という金さんの希望
が関係しているそうだ。各種イベントの詳細は、 
http://www.nisoc.or.jp/event/ を参照。


[注7]  GigaStream

吉田さんの個人ドメインであるGigaStream
(GigaStream.Nagaoka.Niigata.JP)は、現在、メール送受信のほ
か、吉田古奈美ML(声優)、MOONRIDERS & Metrotron ML(ミュー
ジシャン)、えちごLinuxUsers GroupMLの3つが動いている。なお、
えちごLinux User Group MLへの参加希望は
ELUG-admin@GigaStream.Nagaoka.Niigata.JP まで。


[注8]  IAA訓練

IAA(I Am Alive)プロジェクトの詳細は、
http://www.iaa.wide.ad.jp/ を参照。
新潟インターネット研究会が担当した新潟での実験については、
http://www.nisoc.or.jp/event/iaa1998/ を参照。


[注9]  RC5 crackingコンテスト

RC5の開発元であるRSAデータセキュリティが主催しているコンテス
ト。米国政府は一部の用途を除き、鍵の長さが40ビットを超えるよ
うな暗号系の輸出を禁止している。しかし、前回RC5-56(鍵長56ビッ
ト)が250日で破られたことで、この暗号系は強くないことが明白
になった。そこで同社は、米国政府が現在の暗号輸出政策を見直す
ようRC5-64の解読コンテストを開催している。詳細については、
http://www.nisoc.or.jp/rc5/ を参照。


[注10]  中野秀男先生に講演していただいた

中野秀男先生は、大阪市立大学学術情報総合センター
( http://www.media.osaka-cu.ac.jp/ )の教授である(大阪市立大
学学術情報総合センターは’98年3月号のルート訪問先)。このと
き講演した「Internet Forum Niigata ’95」については、
http://www.nisoc.or.jp/event/forum95/ を参照。


[注11]  村井 純先生の講演会

同講演の詳細については、http://www.nisoc.or.jp/event/960803/
を参照。


[注12]  地域プロバイダ

神保さんが勤務している県央インターネットは、 ’95年10月から
サービスを開始している新潟県内を中心とした地域プロバイダ。サー
ビス内容などについては、 http://www.spnet.ne.jp/ を参照。


[注13]  来てもらえないかというメール

稲川久美子さんからの依頼メールは、 ’98年5月15日に届いた。
新潟に興味はあったが、これまで行く機会のなかった筆者は「喜ん
で行きます」と即答した。その後、稲川さんにはルート訪問記の取
材の手はずも整えていただいた。


[注14]  ドット・ファイル

環境設定をするファイルのことで、ファイル名がドット(.)から
始まるため「ドット・ファイル」と呼ばれる。


[注15]  POPサーバーやNNTPサーバーと直接話をして

telnetコマンドを使ってそれらのサーバーのポートにアクセスし、
必要なメールあるいはニュースを取り込むこと。


[注16]  コマンドを頻繁に使う

ここでは、「ping マシン名」によって相手マシンと通信可能かど
うかを調べたり、「ifconfig -a」でネットワーク・インタフェー
スの設定状態を表示したり、「traceroute マシン名」で相手マシ
ンへの経路を調べたり、「nslookup マシン名」でマシンのIPアド
レスを調べたりすること。


[注17]  ファイル一覧を調べられる

lsコマンド以外でファイル一覧を調べるには、echoコマンドを使う
方法(「echo *」あるいは「echo .* *」)やMuleで「M-x dired」
する方法、「FDclone」を使う方法がある。ほかにも、findコマン
ドやtarコマンドを利用する方法もある


[注18]  whoisコマンド

ネットワーク・プロジェクトに関する人、アドレス、組織などの情
報を調べるコマンド
( http://www.nic.ad.jp/cgi-bin/whois_gate にアクセスして調
べることも可能)。


[注19]  qmail

D. J. Bernstein氏によって書かれたメール配送エージェント。詳
細は、 http://www.jp.qmail.org/ 参照。


[注20]  fsck

ファイル・システムを検査し、不都合があれば修正するコマンド。


[注21]  枝豆を食べるとき、薄皮もむいて食べられる

枝豆の名産地である新潟では、薄皮をむいて食べるのが標準らしい。
筆者は、今回、薄皮をむいて食べる方法を特訓し、ほぼマスターし
た。


[注22]  386BSD(98)

386BSDは、京大マイコンクラブによってPC-9801シリーズに移植さ
れた。


[注23]  FreeBSDの配布が止まった時期

’94年7月5日にFreeBSD 1.1.5.1がリリースされた直後から、
4.3BSDの版権問題によってFreeBSDの配布はストップした。 ’94年
の11月22日には、4.4BSD Liteをベースとしたライセンス・フリー
のFreeBSD 2.0Rがリリースされ、FreeBSDの配布が再開された。


[注24]  プロジェクト・マネージャ的な存在

神保道夫さんは、書籍『FreeBSD(98)徹底入門』(翔泳社)の監修
者の1人でもある。


[注25]  ASCIIコードで“5 h e d”に対応

「吉田」をEUC表記して8ビット目の1がすべて落ちてしまった場
合や、「吉田」をISO-2022-JP(いわゆるJISコード)表記して日本
語文字の始まるエスケープ・シーケンスが落ちてしまった場合に、
“5hed”と表示されてしまう。詳しくは、書籍『Linux/FreeBSD日
本語環境の構築と運用』(ソフトバンク)の150ページとF-9ページ
を参照。


[注26]  金さんの自宅

金さんは、よく「とてもよいこ」というハンドルを使っているため、
yoi.comを取得してtotemo@yoi.comというメール・アドレスを使っ
ている(名前の由来については http://www.yoi.com/ 参照)。ほか
にも、iml.net、j2.org、yoi.niigata.niigata.jp、lsd.or.jpと
いうドメインを運用している。


[注27]  懇親会

料理、とくに海の幸や枝豆、卵焼き、厚揚げ、ご飯がおいしかった。
また、2次会では、新潟のお酒(〆張鶴、寒梅、久保田)が飲める
店にも連れて行っていただいた。




(UNIX USER誌連載「よしだともこのルート訪問記」より)
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