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第14回 荒野を開拓して藤沢の地にネットワークの港を築く



1996年3月号 UNIX USER誌掲載「ルート訪問記」の過去記事

第14回 荒野を開拓して藤沢の地にネットワークの港を築く

今回は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(神奈川県藤沢市)[注1]
環境情報学部の奥出直人(おくで なおひと)先生、そして、奥出
研究室でシステム管理を担当されている大学院生の、上原由起子
(うえはら ゆきこ)さん(政策メディア研究科M2)、松田浩史
(まつだ ひろし)さん(政策メディア研究科M1)、亀田丈夫(か
めだ たけお)さん(政策メディア研究科M1)を訪ね、SFCでのネッ
トワーク・コンピューティングについて、そして、SFCのネットワー
クから独立して1つのサイトを構築された、奥出研究室の環境につ
いてお聞きしました。


*SFCのコンペティタはシンクタンク

私(以下、Y):今日は、奥出先生にお会いできて光栄です [注2]。

 先生の研究室のルートさんも全員(3人)集まってくださいまし
て、ありがとうございます。まず最初に、UNIX業界ではとくに有名
なSFCについてお伺いして、それから、奥出研究室の研究内容とルー
トさんの活躍についての話に移っていこうと思います。

 SFCができて、この4月で6年になりますね。大学院2年生の上
原さんは、ちょうど1期生なんですね。奥出先生も、SFCができる
前からこの大学に関係してこられたそうですが、SFCが目指したも
の、そして6年たって実際に実現できたことなどを、話していただ
けますか。

奥出先生(以下O):約10年前になると思いますが、ここのキャン
パスの構想が出たとき、当時の流れだと情報学部と国際学部を作る
のが常識的だったわけです。慶應の場合も、最初はそこからスター
トしたのですが、「コミュニケーションとしてのコンピュータと、
コミュニケーションとしての言語」とのコンセプトが、かなり早い
時期に立ち上がりました。

 ここで「言語」といっているのは、人工言語すなわちコンピュー
タ言語と、自然言語すなわち外国の言語の両方のことです。それら
を勉強することによって、コミュニケーションする対象が広がると
のことで、SFCでは、人工言語と自然言語の習得に力を入れていま
す。

 コンピュータも、イデオロギーとしては同じで、コミュニケーショ
ンする対象を広げるものと考えます。机の上に載っている1台のWS
から、世界中のネットワークを回るとの構想が、現実となりつつあっ
たころでしたから、このキャンパスも、コンピュータによるコミュ
ニケーションをテーマとして作ることになったわけです。

 そして、システムとしては、UNIXによるネットワーク・コンピュー
ティングを採用しました。8年前から2年間検討が重ねられ、「1
人1人にラップトップでUNIX、WSでキャンパス・ネットワーク。キャ
ンパス・ネットワークは高速回線対応」との構想が固まりました。

 そして、UNIXをベースにした、このキャンパス・ネットワークが
スタートしました。コンピュータの施設としては、SFCよりよいと
ころは数多く存在するかもしれませんが、普通の人がアクセスでき
る、すなわち、文系の学部生と教師も含めて全員が使いこなせる環
境を実現している意味では、いまだに世界でも断トツだと思います。

SFCをコンピュータ学部だと誤解して、カーネギーメロン [注3] 
の方がいいとか、MITの方がいいなどという人もいます。日本でも、
コンピュータの環境だけを見れば、奈良先端 [注4] の方が、当然
上でしょう。

 しかし、SFCはコンピュータでコンピュータを作る人の環境では
なく、普通の人の環境であるとの意味で、断トツなのです。キャン
パス内には、千数百台のWSがあり、ネットワークのアカウントは、
5000近くに達しています。

Y:普通の人が普通に活用できる環境であるというところは、私は
1990年に初版が発行されたころから、「SFC-CNSローカルガイド」
 [注5] を愛用させていただいているので、納得できます。「人工
言語、自然言語、コンピュータを、コミュニケーションの範囲を広
げるために習得」との考え方は、当時もそうですが、いまでも新鮮
に思えますね。

O:学生には、UNIXのネットワーク環境でも電子メールのやり取り
などの方法を教えて、次にプログラミングを教えるのですが、これ
が最初の壁ですね。初年度は、構造化プログラミングの基礎を習得
させるために、Pascal [注6] を教えたのですが、結局、2年目か
らは、C言語になりました。

それでも、最初の2年ぐらいは、コンピュータを専門とする学生以
外は、ネットワークを電子メールやネット・ニュースのやり取り、
そしてLaTeXでのレポート提出のためぐらいにしか使わない時代が
ありました。その後、学生もだんだんと変わりだして、WWW [注7] 
が世に出てきて大きく変わりましたね。

 WWWについては、世間が騒ぎ出すよりかなり早い時期に「すごい
ものが出てきた」と、うちの研究室でもサーバーを立ち上げていま
した。現在は、普通の学生でも、HTML [注8] は当たり前だし、
VRML [注9] も組むし、Java [注10] もブームになっているし、と
いう状況になっています。

 これと同時に問題も発生してきました。ネットワークのアクセス
量が増え、トラフィックがパンク状態になってきたのです。メイン
フレーム廃止にともなって場所が空いたので、そこに分散処理の大
型のサーバーを置いて解決する予定です。

 先ほどもいいましたが、新入生は全員、ラップトップ・パソコン
を購入することになっています。それをキャンパス内のネットワー
クにつないで、全員が使いこなすのも、大切な側面です。ラップトッ
プ(モバイル・コンピューティング)、ネットワーク・コンピュー
ティング、Webのおかげで現実のものとなったマルチメディア、こ
れら3つの技術に学生全員が触れることができる。これが大切です。
この方針は今後も変わりません。

Y:UNIXをベースにされているというのが、「UNIX命」の私にはう
れしく思えます。

O:ここまでくるには、紆余曲折もありました。WWWが登場する以
前は、ここの文系の先生を中心に、「UNIXよりもMacを買え、DOSを
買え」との意見が強くありました。僕は、数少ない、文系でUNIX賛
成派の1人だったわけですが、ネットワーク・コンピューティング
は、UNIXの方が断然いいし、インターネット環境もUNIXが適してい
ると思っていました。UNIXのネットワーク環境が、SFCの宝だと思っ
ていますから。

 最近は、オープン・アーキテクチャやインター・オペラビリティ
が、普通のことのようにいわれてきたので、コンピュータはUNIXで
もMacでもかまわない方向に向かっていくと思いますし、うまく併
用していくことになるのでしょう。

 SFCが誇れるのは、ここまでコンピュータを使い込んでいること
でしょう。ここは、何といっても、WIDE [注11] の拠点ですから、
インターネットのリテラシーは非常に高いし、WIDEの資産は大胆に
キャンパスに還元されるので、それだけ技術力は高くなるのです。

Y:SFCは大学というより、研究機関としての地位を持っています
よね。

O:それは、この大学をスタートさせるとき、「コンペティタは誰
か」を考えて、シンクタンクとかマスコミを想定しているんですよ。
情報学部である必要はなくて、それを超えるものであって、世の中
にないものを考えたのです。その結果、ネットワーク・マルチメディ
ア的な方向性が見えてきて、そのとおりになったわけです。だいた
い、もう、シンクタンクは超えているのではないでしょうか。次な
るコンペティタは、マイクロソフトや、サン、シリコン・グラフィッ
クス(以下SGI)あたりですね。


*SFCからのネットワーク独立を実現

Y:では次に、奥出研の研究内容を教えていただけますか。

O:うちの研究室の主な研究内容は、インターネットのコンテンツ
制作ですね。

 たとえば、インターネットのエレクトリック・コマースでの電子
決済についてや、いかに魅力的なWWWのコンテンツを使ってマーケ
ティングを行っていくかなどを研究しています。これは、ネットワー
クを技術的につなぐこと以上に大切です。インターネットというメ
ディアを使って、発信していくノウハウを持った人たちが、いま、
とても必要とされています。その人間の知識に付加価値が付けられ
て、それにお金が支払われる時代なのです。

Y:人間の知識に付加価値が付けられる時代というのは、納得でき
ますね。でも最初の4年間は、SFCには大学院生がいなかったわけ
ですよね。

O:研究室を設置してから3年ですが、最初は、機械のコストが高
いうえに操作が難しくて、そのうえ学生は未熟という状態だったわ
けです。それに、数年前までは、マルチメディアとインターネット
は別のものだったでしょう。それが、マルチメディアが倒れて、イ
ンターネットが伸びてきた。当初は、インターネットはテキスト中
心主義だったのが、突然、インターネットでマルチメディア、すな
わち、人間の表現に近いものが表現できる時代になったわけですよ
ね。このため、’94年の秋ごろからは、全体がとてもうまく機能す
るようになっています。

 とくに最近、SGIが、HTML、VRML、Javaの技術を統合するCosmoを
発表したでしょう [注12]。その結果、これからは、インターネッ
トでHTML、VRML、Javaを使ったマルチメディアのコンテンツ制作が、
ますます主流となっていきます。これまで、デジタル映像を作った
り、CGを作るなどして蓄積してきた技術が、全部無駄にならずに、
生きてきたのです。

 企業との共同研究のプロジェクトも多いですね。その一環として、
うちの研究室の学生は、大学院生で平均年5回程度、海外にリサー
チに行くんです。主に、アメリカ西海岸とイタリアですね。家具屋
を作ろうというプロジェクトが入っているので、イタリアのミラノ
には家具のリサーチに行っているのです。

Y:次に、この研究室が、ネットワーク的に独立を果たしたという
話をお聞きかせください。

O:SFCでは、研究室にコンピュータを持ち込んで申請すれば、す
ぐにドメインを切ってくれます。それで、コンピュータの管理が、
学校側から研究室のドメインの中に移動するわけです。この状態が
ずっと続いてきたのですが、去年突然、学内ネットワークからの独
立を決意したのです。さっそく、研究室に1つのサイトを作ること
にしました。

 独立したかった理由は、ネットワーク・コンピューティングやネッ
トワーク社会を研究していくうえで、ルートの仕事を経験すること
が重要だと判断したからです。

 ほかの研究機関との共同研究の際に、一番信頼のおける人物がネッ
トワーク管理をしていないと、うまく研究が進まないことを実感し
ました。そこで、SFC全体のネットワークに所属しているのではな
く、1つのサイトを作ることに意義があると判断したのです。

 サーバーの立ち上げなどを数多くこなしたのですが、ネットワー
クの自立がすべての根幹であり、この自由がなかったら、ここで意
思決定ができなかったら、何もできないと痛感したのです。

 そこで、思い切って独立することにしました。産学共同プロジェ
クトとして、スポンサーも付いたのです。

 ただ、うちの研究室は文系の研究室ですから、技術力もそれほど
ないため、学校側に申請しても普通なら許可されないところでした。
しかし、斎藤信男先生 [注13] がこの実験を評価をしてくださり、
斎藤先生のプロジェクトの中から、技術的に詳しい人 [注14] を付
けてくれました。

 そして、その助っ人とこの2人(上原と松田)と僕との4人で、
「学習大会」がスタートしました。それが、’94年の10月でした。

 まず、光ファイバーで僕たちの複数の研究室をつないで、FDDI
[注15] のネットワークを構築しました。それに、コンセントレー
タで分けていきました。サーバーにSGIのOEMであるタンデムのNRサー
バーを置いて、ネットワーク独立を実現しました。


 その結果、研究室内に、IPを発行したり、マシンの管理をして、
全体のシステムをすべて管理する、真の意味でのルートが誕生しま
した。それが、ここにいる、上原と松田なんですね。

 ゼロから積み上げていくこの過程で、彼らが経験することを狙っ
ていたのです。これまでは、専門家の間では身体知として入ってい
た知識と技術を、すべて体系化しようと思ったのです。実際にそれ
は、すでに体系化して、オンラインで蓄積できています。

Y:なるほどねえ。実はこの、ルート訪問記という連載を私がスター
トさせた目的の1つも、「専門家にとっては当然の知識であること
を、これからルートになる人にドキュメントとして伝えたい」だっ
たんですね。

 だから、奥出研の試みには、拍手を送りたいです。

O:結局、その学習大会をスタートさせてから約2か月後の12月末
に、研究室内部のネットワークは完成できました。しかし、研究室
内と大学のネットワークの接続がどうしてもうまくいかず、UNIX界
の権威である環境情報学部の中村修さんに、’94年の12月のクリス
マス休みに技術協力をしていただき、’95年1月7日に、無事、ネッ
トワーク独立をやりとげたのです。

上原さん(以下U):研究室内と大学のつなぎの部分は、技術的に
とても難しい部分だったのです。

松田さん(以下M):研究室のルーターは、RIP [注16] というプ
ロトコルしか話せなくて、大学院側はOSPF [注17] を使っていたの
で、その変換の部分で、技術協力が必要となりました。そこが問題
だと分かるまでに、2〜3週間かかってしまいました。

U:動くはずなのに、動かないという状態で、「ああでもない、こ
うでもない。プログラムは合っているはずなのに」と悩みました。
できるはずだといわれていたので、余計にそこが問題だとは気が付
きにくかったのです。

M:どこが問題かを限定していくために、考えられる要因をできる
かぎり数多くリスト・アップしました。次に、これを1つずつ確認
して問題点の特定を行ったわけですが、この、定石ともいえるプロ
セスを、体験から学んだような気がします。

 問題を発見した後、それをどのようにして解決するかは、人と人
とのコミュニケーションの中から発見されることが数多くありまし
た。問題の解決そのものも大事ですが、問題発見・解決の一連の流
れを勉強できた点が、貴重な経験でした。

Y:問題解決のアプローチは、実際の人間社会でも、ネットワーク
のうえでも、結局は同じわけですね。

O:UNIXのネットワークは、人間社会の問題解決のアプローチを、
非常にうまく応用できます。とくに、技術はオープンに公開されて
いるので、どこかに、それについて詳しい人がいるという点で。

 これが、メインフレームのOSやマイクロソフトのOSだと、社会的
な知識のあり方や問題の解決のアプローチは、使いにくくなります。
ネットワーク・コンピューティングにUNIXが使われているメリット
は、このあたりにもあります。

M:問題の種類が変わっても、同じアプローチで解けることが分かっ
たのは、大きなメリットですね。

Y:なるほど。自分で解決できる道があるのが、UNIXの魅力なので
しょうね。


*ドキュメント化によってルート業務は軽減できる

O: ルートとしての知識がないメンバーがルートになることで、
どの順番で何を覚えていけばよいかが明確にできるのでは、との期
待がありました。僕は、2人の学習過程での報告を聞きながら、ど
の順番で何を学んでいけばルートとしての知識が身につくかを考え
ていました。ドキュメンテーションは、知識の蓄積として役立つだ
けでなく、学習の履歴としても効果を発揮したのです。

 普通とは違い、このプロジェクトでは、すべての作業に対して、
ドキュメントを残していきましたから、すべてが非常に正確な形で
入っています。だから、いつでもどこでも分解可能です。たとえば、
ライブオフィス [注18] というプロジェクトでは、まず学校内でイ
ンターネットに接続できるネットワークを構築して、それをいった
ん分解して、別のところに持っていって接続、ということもやりま
した。

Y:ドキュメンテーションの意義については、まだまだ認識されて
いないと思っていましたから、感動します。「ドキュメンテーショ
ンが大切なんだよ」といってくれる人を、私は求めているようなと
ころがありまして。

O:プラグの1つから、何をどうつないだかが記録されています。
ただ、最近は少々さぼり気味かもしれませんが。

Y:分かってきたら、だんだんと書かなくなるとの傾向は、あるか
もしれませんね。

O:次の世代に残すという意味でも、すべて書くように指導してい
ます。イベントが発生したときに、作業をしながら同時に書くとあ
まりつらくありません。あとで振り返ろうとするから苦痛になるわ
けです。

U:たとえば、一度、NFS [注19] が落ちてしまったことがありま
した。そのときは、私がNFSを設定しているとなりで、それを勉強
する人が、私がどのようなコマンドを入力したか、作業をリアルタ
イムで記録していきました。だから、私の作業が終わったときには、
ドキュメントも仕上がっていました。

O:それから、ルート自身がドキュメントを書くことは、一時的に
はルートの負担になりますが、最終的には仕事を軽くすることを強
調しておきたいですね。一時期、皆がルートである上原に依存して
しまい、彼女の本来の仕事ができなくなる、典型的なダブル・デュー
ティ問題が発生してしまいました。

U:それで、先生に「知識をみんなに分散させるためにも、書くよ
うに」といわれて、ドキュメント作成をルートの仕事と並行して行
うことになりました。その結果、私にすべて聞きに来るのではなく、
まずは、ドキュメントを読む体制ができて、ずいぶん楽になりまし
た。


*「女性は機械に弱い」との偏見を払拭した女性ルートの活躍

Y:まずは、女性ルートである上原さんから、ルートとしての話を
聞かせてください。

U:私は、ルートの作業を始める以前は、Emacsで文章を編集でき
る程度の知識しかありませんでした。

 「床下にある線にはどんなものがあるか」から勉強を始めて、数
か月の間にすべての知識を徹夜で勉強したので、あのころは大変で
した。

 コンピュータの専門家ではなく、プログラミングの知識があるわ
けでもない私が、FDDIを使ったネットワークを構築して、ルートに
もなれたのですから、苦しくてもやってよかったと思います。

Y:女性ルートは珍しいので、「女性もマシンの運搬やケーブルの
設営などの力仕事をするの?」という質問が男性から出そうですが、
そのあたりはいかがですか。

U:男性と変わりなくやっていますよ。

M:変わりなくどころか、彼女が率先してやっています。床をパカッ
と開けて、ケーブルを抱えて、ダーッと走っていきますね。彼女を
見ていて一番感心するのは、その理解力と行動力です。分からない
ことや、初めてのことでも積極的に取り組んで、あれやこれやとやっ
ているうちにあっという間に習得し、理解してしまう。最近は一緒
に作業することは少なくなりましたが、作業をしていて、すごくス
ピード感があり、楽しく正確な作業ができます。「男女」の別なく
常々すごいなあと思っています。

亀田さん(以下K):以前は、「女性は機械やコンピュータに弱い」
との偏見が自分の中にありましたが、そういうのはヤッキー(上原)
さんを見てふっ飛びました。とにかくどんな難しいことでも平気で
やってしまう。それも、ものすごいスピードで。身体は小さいけれ
ど、ルートのボスとしての威厳はバッチリですね。

Y:3人目のルートの亀田さんが、ルートになったのはいつですか。

K:9月にルートになったので、まだ3か月ほどです。その前の数
か月は、ルートの横について学んでいました。あるいは、ルートの
パスワードだけ入力してもらって、「はい」と任されたり。

Y:横で、上原さんたちがにらんでいるわけですね。:-)

K:ちらちらと見られる程度で、にらまれはしませんでした。

O:最近、僕らのようにコンテンツ制作などを専門としている場合、
ルートの知識(システム管理の知識)は、レベルの差こそあれ、全
員、持たなければいけないのではないかと思っています。しかし、
すでにできあがった環境でシステム管理を教えるのは、難しい。そ
こで、練習ラインを作って、そこは、つないだり外したりできるよ
うにしておきたいと思っています。

「システム管理は、ネットワーク・コンピューティングの本質なん
だ」というのが、いまのこの研究室の課題で、大学の3年生からシ
ステム管理の基礎的なことは勉強させる体制を作りつつあります。
システムのインストールを実際に見せて、ルートができる人を増や
す努力もしています。管理者というとおおげさですが、結局は、お
掃除や作法から発展したものと思い、ルートができるようになれば、
だいたい何でもきちっと行動できるようになるようです。

 これは組織の問題にもなりますが、ルートは外注してはいけない
と思います。内部に優秀なルートがいる会社は、発展しますよ。ルー
トの部分に、クリエイティビティや自由度がなかったら、プロジェ
クトを大胆に実行することもできないからです。

 今後、「一般に、システム管理といわれている領域の仕事に、具
体的にどのようなものがあるのか」も、きちんと定義していこうと
思っています。

Y:なるほど。「ルート訪問記」を続けていくうえでも、今日はと
ても大切なお話をお聞かせいただいたように思います。ありがとう
ございました。


[注1]  慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス

1858年(安政5年)に福沢諭吉が創設した洋学塾を1868年(慶応4
年)に芝に移転して慶應義塾とした。大正9年の大学令により大学
となった。現在キャンパスは、三田、日吉、湘南藤沢、矢上、信濃
町にあり、1990年4月にスタートした湘南藤沢キャンパス(Shonan
Fujisawa Campas)には、総合政策学部と環境情報学部の2つの学
部がある。通称SFC。


[注2]  奥出先生にお会いできて光栄

先生が1990年に書かれた「物書きがコンピュータに出会うとき」
(河出書房新社発行)を読んで以来、筆者は先生の隠れファンであっ
た。この書籍には、文章を書くために使われる、アイデア・プロセッ
シング、アウトライン・プロセッシングなどのツール利用の実際が
具体的に書かれている。


[注3]  カーネギーメロン、MIT

米国のカーネギーメロン大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)。


[注4]  奈良先端

国立奈良先端科学技術大学院大学。1991年10月に開学した、学部を持たない
大学院だけの大学。最先端の通信基盤網が構築されていることで、
UNIX業界で有名。


[注5]  SFC-CNSローカルガイド

毎年、改訂版が発行されており。SFCの生協で購入できる。1990年
の初版発行当時、UNIX を知らない人に、UNIX ネットワーク環境で
の電子メールのやり取りの方法などを理解してもらおうと思ったと
きに適当な本が、ほかにほとんどなかったため、筆者は重宝させて
いただいた。


[注6]  Pascal 

FORTRANやCOBOLと並ぶ高水準プログラミング言語の1つ。構造化プ
ログラミングが可能なのが特徴。開発用というより、教育用、研究
用などの用途で使われる。


[注7]  WWW

World Wide Webの略。1989年、スイスの欧州粒子物理学研究所(通
称CREN)が開発した情報提供システム。クライアントとサーバーと
の通信プロトコルにはHTTP(Hyper Text Transfer Protocol)を用
いる。


[注8]  HTML

Hyper Text Markup Languageの略。ハイパー・テキストを記述する
言語として、WWWに2次元コンテンツを記述するのに使われている。


[注9]  VRML

Virtual Reality Modeling Languageの略。シリコン・グラフィッ
クスが開発した、インターネットWWWに3次元コンテンツを表示す
るための言語。SGIの3次元グラフィックス・フォーマットである
Open Inventor(オブジェクト指向3次元グラフィックス開発ツー
ル)をベースとしている。


[注10]  Java

Java(ジャバ)言語とは、サンが開発した、オブジェクト指向言語。
インタプリタ形式であるため、Javaで開発されたアプリケーション
は、OSやプロセッサに依存しない、クロス・プラットフォーム対応
となり、アプレットと呼ばれる。たとえば、インターネット上の
WWWサーバーに置かれているJava のアプレットは、クライアント側
のJava言語に対応した WWW のブラウザ上で、プラットフォームに
関係なく表示できる。


[注11]  WIDE

Widely Integrated Distributed Environmentsの略。1988年にスター
トした、広域ネットワークを実際に構築し、それをテスト・ベッド
として地球規模の大規模広域分散環境における諸問題を実証的に研
究するプロジェクト。参加メンバーは、大学、研究機関、企業の研
究者で、このプロジェクトの中心人物である村井 純先生は、SFCの
環境情報学部所属。


[注12]  SGIがCosmoを発表

シリコン・グラフィックスは、1995年12月7日、インターネット上
のWWWにインタラクティブ・マルチメディアと3Dグラフィックスを
実現する先進の技術を統合した強力なソフトウェアとして、Cosmo
(コズモ)ソフトウェア・ファミリを発表した。今年の上半期に出
荷する予定。4種類のCosmoファミリには、すべてが、HTML、SGIの
VRML 2.0、サンのJava言語 とJavaScript(Javaベースのスクリプ
ト言語、Java よりアプレットの開発が容易)などを含む、Webのオー
プンな環境をサポートしている。


[注13]  斎藤信男先生

SFC環境情報学部の教授。学部長


[注14]  技術的に詳しい人

藤井敬三さんという方。


[注15]  FDDI

Fiber Distributed Data Interfaceの略。100Mbpsのリング型の
LAN の名称。ビル間やビル内の幹線LAN として、あるいはコンピュー
タ間を高速に接続するために用いる。


[注16]  RIP

Routing Information Protocolの略。インターネット上で一般的な
ゲートウェイ・プロトコル。


[注17]  OSPF

Open Shortest Path Firstの略。RIPの後継として開発されたゲー
トウェイ・プロトコル。インターネット上での使用を目的にしてい
る。


[注18]  ライブオフィス

近未来のオフィスを具現化する“LIVE OFFICE”プロジェクトとは、
マルチメディア、ネットワーク・コンピューティング時代に合った
オフィスのリエンジニアリング・プロジェクトである。ビジネスの
方法、コンピュータ・システムの構成、オフィスのレイアウト・デ
ザインといった、3つの異なるアプローチから「環境」をデザイン
し、構築した環境の中で実際に活動することがLIVE OFFICEの目的
である。


[注19]  NFS

Network File Systemの略。ネットワークを介して他のホストのファ
イル・システムをマウントして使う分散ファイル・システムのこと。
マウントされたファイル・システムは、あたかも自分のディスク装
置であるかのように見える。


以上


(UNIX USER誌連載「よしだともこのルート訪問記」より)
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