<UNIX USER 誌 の記事取材のこぼれ話(3)>


Last Update : Sat April 13 1996 by T.Yoshida
UNIX USER 誌 の私の連載記事も、1996年1月8日に発行される2月号で、 丸1年を迎えました。この1年間に訪問させていただいた方々に感謝の意をこ めて、訪問先を一覧にして、それぞれに訪問した時の思い出話でも書いてみます。

(1)オムロン株式会社 京都研究所 システム総合研究所

 第1回の1995年2月号の訪問先は、オムロン株式会社 京都研究所でした。 ここは、私が大学卒業後7年半の間、働かせてもらったところです。ここで 教えてもらったことはあまりにも多く、私にとっては母校という感じのところ です。

(2)株式会社京都ソフトアプリケーション(KYSA)孝本達哉さん

 第2回の1995年3月号の訪問先は、KYSA の孝本達哉さんでした。ここでは、 インターネットを利用した通信教育である「フレックスコース」の運用に関する 話を中心に、お伺いしました。

(3)ノートルダム女子大学 グレゴリー・ピーターソン先生

 第3回の1995年4月号の訪問先は、ノートルダム女子大学のグレゴリー・ピー ターソン(Gregory L. Peterson)先生でした。この大学のコンピュータ・セ ンターの設立(1991年11月)の中心となられたピーターソン先生は、こ の大学でコミュニケーションを専攻した私のゼミ(卒論指導)の教諭の一人で もあります。私が学生の頃はまだ、「異文化コミュニケーション」と「コンピュー タ」とは別々のものとして存在していたのですが、インターネットの発達によ って、コンピュータがコミュニケーションの道具となる時代がきています。なん だか不思議な気がします。現在のピーターソン先生のゼミの学生は、コンピュータ をコミュニケーションの道具として学んでいるそうです。

 余談になりますが、ピーターソン先生は、1977年から日本に住んでおられて、 奥様も日本人の方なんですね。その日本人の奥様が、この雑誌記事を読まれて、 「うまくまとめられているわね」と言ってくださったそうです。うれしいことです。

→→ノートルダム女子大学 ピーターソン先生のホームページにジャンプ!

(4)奈良女子大学 理学部 情報科学科 鴨浩靖さん

 第4回の1995年5月号の訪問先は、奈良女子大学 理学部 情報科学科 の 先生の鴨浩靖さんでした。奈良女子大学の理学部に、情報科学科ができたのは 1991年だということで、この学科の UNIX ワークステーション環境、外部 とのネットワーク環境についての話を中心にお伺いしました。

 この記事の中で私は鴨さんに「最近、ばりばりの UNIX ユーザーだった人から、 Mac は楽しいよ、というセリフを聞いて驚くことがあるのですが、まさか鴨さん は Mac ユーザーにはなってませんよね」と聞くんですね。その鴨さんの返事が こうなんです。

「私はずっと UNIX一筋です。最近、人から何かいわれたらわざと、私は MacOS も MS-DOS も普及する前から UNIX に慣れているから、いまさら違う OS は・・ と逃げることにしています。(中略)どちらかといえば、Mac には耐えられるん ですよ。UNIX とはぜんぜん違う世界だと思って使えるので。でも、MS-DOS と いうのは、僕らにとっては UNIX の超簡略版でしかないわけで、UNIX を使い慣 れている人間にとっては、あれもない、これもできない、といらいらするだけ なので、精神衛生上よくないですね。Windows になると、超簡略版 UNIX である MS-DOS の上に Mac もどきがのっているわけで・・・。」

このセリフ、"UNIX一筋" の人からは、かなり支持されたようです。私もその一人 ですが、最近は、時代の流れもあり、Windows も使うようになりました。

(5)立命館大学 武田龍馬さん

 第5回の1995年6月号の訪問先は、立命館大学びわこ・くさつキャンパスの 統合情報センターの武田龍馬さんでした。このびわこ・くさつキャンパスがオー プンしたのが1994年の4月で、「立命の新しいキャンパスに行ってみたいよぅ」 と言い続けて約1年で願いがかないました。「キャンパス全体の見学もさせて 下さい」とお願いして、甲子園の約15倍もの広さのキャンパス内の、ほぼ すべての施設の見学もさせていただきました。

(6)株式会社ディアイティ 百合啓雅さん

 第6回の1995年7月号の訪問先は、株式会社ディアイティ 百合啓雅さん でした。ディアイティは、UNIX と Macintosh とのネットワークに特化したものを 中心に扱っている会社で、企業のインターネットへの接続のサポートも行って おられます。会話の中で百合啓雅さんが、インターネットに関して、 次のように述べておられます。

「インターネットはいままで、クローズな環境で(技術者、研究者などが)、 特殊な目的(学術、研究)で使ってきたものです。しかしこれからは、一般の人 たちが、一般の目的で使っていく時代です。たとえば、主婦の方が料理の情報を 得るとか、学生が映画の情報を入手したりチケットを購入したりするのに使うとか。 テレビの番組の内容がおもしろくなければ誰も見ないのと同じように、提供する 中身が問われる時代になってくるわけです。これまで、インターネットを育てて きたわれわれは、これから使う人たちに「何だ、つまらない」といわれないように、 もっともっと考えていかなければいけないと思います。
             (中略)
いま、いろいろなメディアに個別に存在する情報が、インターネットに集約されて くるかもしれません。インターネットが強力になることは、これから使っていく人に とっても、これまで使ってきた人にとってもよいことだと思います。ちょうどいまが、 大きく変革していく重要な「はざかい期」だと思います。」

 あの時、百合さんが言われた時代が、こんなに早くくるとは。 「インターネットが、いろいろなメディアに個別に存在する情報を集約する」 という時代も、あっという間にくるのかもしれませんね。

→→ディアイティ株式会社のホームページにジャンプ!

(7)京都産業大学 計算機センター

 第7回の1995年8月号の訪問先は、京都産業大学 計算機センターでした。 この大学には、自分が使いたい環境を自分で設定することに興味のある有志の グループとして、教員、学生などバラエティに富んだ20名からなる「admin グループ」があるということで、このグループの方々もインタビューに参加 して下さいました。

 楽しく会話し、それを録音したテープを聞きながら記事 にまとめようと思ってさあ大変。10人近い方々の声が録音されていたのです が、メインで話して下さった安田豊さんと、外国学部の先生の竹内茂夫先生以外 の方の声が、どれが誰の声なのかが、わからなかったのです!!その後のメール のやりとりで、なんとかなりましたけど。:-)

 この記事の中で、この大学が作成しておられる「UNIX ガイド」が Anonymous FTP で外部からも入手できるということを紹介したところ、半年以上たった今 でも、これを Anonymous FTP される方が後をたたないとのことです。「この 本の後半には、Mule、LaTeX、AUCTeX、Mathematica、GNUPLOT、tgif、xv、 xpaint などの使い方が詳しく説明されている。」と具体的に書いたからでしょ う。

→→京都産業大学のホームページにジャンプ!

-------
上で紹介した「UNIXガイド」が、1996年4月、「コンピュータガイド」と 名前をかえ、インターネット編とアプリケーション編の2冊に分冊して、 新しくなったそうです。

中身は、これまでの第2版に、ダイヤルアップIPとFTP、WWW、HTMLを加え、 いくつかの修正を加えたものだそうです。

(8)調剤薬局「水野」 水野善郎さん

 第8回の1995年9月号の訪問先は、調剤薬局「水野」の水野善郎さんでした。 「水野」は、東京都文京区の東京大学付属病院前にある調剤薬局で、自社開発の 「薬剤師支援システム Liberty System」を導入し、このシステムを商品として 外部に販売されています。このインタビューでは、本当にたくさんの興味深い話を 聞くことができました。特に私が気にいっているのが、水野さんの次の発言です。

「人間は間違えるもの、機械は壊れるもの、バグはあるもの、なんですよ。 壊れない方がおかしい、と思っていれば、間違いはありません。(中略) たとえば、うちのサーバーは、ディスクを二重化していて、かつデータ部分は 毎日DATにバックアップを取り、1ヶ月に1回は別の機械にコピーして、 毎日1回はまた別の機械にコピーして、と合計4コピーあります。だから、 ディスクが壊れても、あそっか、という感じです。」

 慢性的にバックアップを怠っている私は、水野さんの爪の垢でもせんじて飲まな いと・・という感じです。:-)

→→調剤薬局「水野」のホームページにジャンプ!

(9)寺尾洋子さん

 第9回の1995年10月号の訪問先は、大学の非常勤講師としてコンピュータ 教育に従事されている寺尾洋子さんでした。彼女は、授業の準備などのために、 UNIX と Windows と Macintosh の3つの OS 環境を自宅に持っておられるという 方で、自宅の環境構築を怠っていた私には、これまた「爪の垢でもせんじて飲まな いと・・」という感じでした。:-)

(10)京都大学 大型計算機センター

 第10回の1995年11月号の訪問先は、京都大学 大型計算機センターの 石橋勇人さん、川原稔さんでした。ここにおじゃました、1995年の夏 は大変な猛暑で、この日もすごく暑かったので、私自身すごく喉がかわいてい たので、飲み物を買っていくことにしたんですね。

 で、「大学だと、まわりに学生さんなんかもたくさんおられるだろうし、 湯飲みなんかもない(洗ってない?)だろうし」と勝手に思って、 「1.5リットルの紅茶と紙コップ」を買っていったんですよ。ところがどっこい。 京都大学 大型計算機センターというところは、 ぜんぜん大学っぽくなくて、きちんとセクレタリーの方がお茶を出して下さい ましたし、まわりに学生さんなどはたむろしていない! ということで、浮いてしまった「1.5リットルの紅茶と 紙コップ」は、とりあえずセクレタリーの方にお渡しして帰ったのでした。

→→京都大学 大型計算機システムのページにジャンプ!

(11)星稜女子短期大学 沢野伸浩先生

 第11回の1995年12月号の訪問先は、金沢の星稜女子短期大学 沢野伸浩 先生でした。「UNIX 命」の私は、ここの取材で、大変なカルチャーショックを 受けたのでした。というのが、ここのシステムは、UNIX ワークステーションが 1台あるだけで、あとはすべてパソコン。「Windows NT 3.51 が出れば、 いま1台だけある UNIXサーバーもいらなくなるんですよ。」とうれしそうに 話される沢野先生に対して、「はー」とか「ふー」しか言えなかった私でした。

→→星稜女子短期大学 のホームページにジャンプ!

(12)京都産業大学 外国語学部 竹内茂夫先生

 第12回の1996年1月号の訪問先は、京都産業大学 外国語学部 竹内茂夫 先生でした。竹内先生には、第7回の1995年8月号の訪問先として、 京都産業大学 計算機センターにおじゃました時にお会いして、Mac と UNIX で、先生の専門のヘブライ語を扱う環境を構築されていることを知り、是非、 詳しいお話をお聞きしたい、とあらためて伺わせてもらったのです。竹内先生は、 「NTT jTex + ArabTeX のマクロパッケージ + ヘブライ語のフォント」で、 日本語と英語とヘブライ語とアラビア語が、1行の中に混在できる環境を作って おられて、それをデモつきで詳しく紹介して下さいまして、感激した私でした。

(13)金沢工業大学 経営工学科 佐渡秀治さん

 第13回の1996年2月号(1996年1月8日発行)の訪問先は、 金沢工業大学 経営工学科 佐渡秀治さんでした。佐渡さんは、大学院生の方で、 経営工学科のルートさんとして活躍されています。取材は、彼の所属する、 日下(くさか)研究室の中でおこなわれました。そこには、この研究室の学生 さんが多くおられたので、私はちょっと緊張しました。学生さんたちの若さに 圧倒されたというのが、正直なところかもしれません。:-)


以上が、ここ1年間で私が訪問した所の一覧でした。こうしてあらためて思い出して みると、楽しかったなぁー、いろいろなことを勉強させてもらえたなぁー、と感謝の 気持ちでいっぱいになります。訪問させていただいた方々、どうもありがとうござい ました。

こぼれ話(4)へ
よしだともこのホームページに戻ります