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2004年10月号掲載 よしだともこのルート訪問記

第96回 自らのネット構築・運用によりネット空間の社会学理論を模索
〜京都大学大学院 高等教育研究開発推進センター 吉田 純 教授を訪問〜

今月のルートさん:
吉田 純(よしだ じゅん)
京都大学 高等教育研究開発推進センターおよび京都大学大学院 人間・環境学研究科 教授

京都大学 高等教育研究開発推進センターとは
2003年4月に、高等教育における教授システムの実践的研究を行う組織として発足。実践研究のほか、研究成果に基づいて全学共通教育の企画、開発および実施の支援を任務としている。
http://www.highedu.kyoto-u.ac.jp/


京都大学大学院 人間・環境学研究科とは
京都大学 教養部を改組して1993年に発足した総合人間学部の大学院が、人間・環境学研究科である。総合人間学部では、人文科学、社会科学、自然科学といった幅広い学問分野の総合的教育を行っており、その教育は人間・環境学研究科教員が担当している。
http://www.h.kyoto-u.ac.jp/jinkan/

■パソコン通信をきっかけにネットの世界へ

よしだともこ(以下、Y):初めまして。社会学に関することで連絡したところ、「ルートもやってますよ」とのことで、しかも「ルート訪問記」もご存じだったそうで、非常に光栄です。
 以前助手として働いておられた、京都大学 文学部 社会学教室(以下、社会学教室)のルートを現在もご担当ということなので、その点を中心に、パソコン通信注1時代の草の根ネット注2などの話しを伺えればと思います。
 社会学教室で院生として研究をスタートした1986年ごろは「フランクフルト学派の社会思想」をテーマになさっていたそうですね。

吉田 純先生(以下、吉田):はい。「情報」や「ネット」という言葉が自分の研究キーワードになったそもそものきっかけは、1989年に趣味としてパソコン通信に参加したことでした。
 NECのPC-9801/VX21に、2400bpsのモデムを接続し、いくつかのローカルBBSに参加しました。また、京都大学大型計算機センターの汎用UNIXマシンを自宅からも利用したりしていました。
 1990年前後のMS-DOSユーザーは、UNIXに対して一種の憧れがありました。うまくつながってPCの画面にUNIXのプロンプトが出たときは感動しました(コラム「私のUNIX」)。

Y:私も当時は2400bpsのモデムを利用していましたが、設定方法は結構煩雑でしたよね。

吉田:ATコマンド注3ですね。パソコン通信の一般的な設定は、大型計算機センターにつなぐときの設定とは違っていて、ターミナルソフトも、パソコン通信ではWTERM注4、計算機センター向けは専用ターミナルソフトを利用していました。
 1990年に、商用BBSに加入して、1991年9月には、「ローカルBBS WITH-NET」を京都市内の自宅で開局しました。いわゆる草の根ネットです。このBBS独自の特色としては、社会学ないし人文・社会科学一般に関する話題を議論する「人文・社会科学研究室」という電子会議室があったことです。
 ホストマシンはPC-9801Eで、モデムは前述の2400bpsのもの、ホストプログラムはmmm注5でした。1993年3月にモデムを14400bpsのものに替えて、ホストマシンはPC-9801VX21に更新しました。
 WITH-NETの開設当初の会員は10名程度で、勤務先の京大の友人、知人が大半だったのですが、その後、それ以外の会員も増えて、1995年7月末時点での会員数は144名でした。アクティブな会員は常に10〜20名で、オフラインミーティング(以下、オフ会)は4年間で21回実施し、ボウリング場やビアガーデンに行きました。

Y:なつかしい。私も当時、京都の別の草の根ネットに入っていて、ボウリング大会に参加したこともあります。

吉田:WITH-NETの運用は1995年に会員に譲ったのですが、ホストプログラムが2000年を超えられないとのことで、それも1999年12月に終わりました。ただし、2001年9月に研究室のノートPCをホストにし、サーバープログラムにはWANI-BBSを使い、「インターネットBBS with-net」を復活させました。

■社会学研究室にUNIXワークステーションを導入!

Y:社会学研究室がインターネットにつながったころの話をお願いします。

吉田:1992年に、京都大学文学部一般設備費を使ってUNIXワークステーションを購入するという方針が決定し、1993年10月に社会学研究室のメールサーバーsocio1として、Sun SPARCstation 2注6を設置しました。
 文学部ですでにインターネットにつながっていた心理学研究室が3階にあって、社会学研究室は4階にあったので、3階の廊下の天井にドリルで穴を開けてネットワークに接続し、socioというドメインを発足させました。当時は古い建物におり、配線はすべてむき出しで、廊下の天井にイエローケーブルがそのまま見えているといった状態でした。
 また、研究室でのUNIXワークステーションの設置やネットワークケーブルの配線、サーバーの立ち上げに対して、WITH-NETを中心とする友人・知人がずいぶん協力してくれて、いま思えば、そのときが、パソコン通信という純粋に趣味の世界で知り合った友人が、仕事に結び付いた最初のきっかけでした。
 1994年にsocio1のOSをSolaris 2.xにバージョンアップし、1995年にメールのアカウント取得者が徐々に増加してきたので、7月に「社会学教室サーバ利用規約」を設定しました。1996年にsocio1にHTTPサーバー(NCSA httpd注7)をインストールし、「社会学研究室ホームページ」を開設。自宅の電話回線をISDNに変更、自宅からのインターネット利用も開始しました。

Y:そして、1997年に京都大学文学部新館が建って、社会学研究室はそちらに移動されたのですね。

吉田:1997年8月、京都大学文学部新館が竣工、社会学研究室はサーバーごと新館へ移転し、socioは新設したbunドメインのサブドメインとなりました。DHCPを導入して、端末群は固定IPアドレスからDHCPクライアントに移行ということだったのですが、当時はまだグローバルIPアドレスを使っていました。
 1993年に購入したSun SPARCstation 2はだんだん古くなってきたので、1998年に、次期サーバーOS候補として、FreeBSDの運用試験を開始しました。新しいワークステーションを購入する予算はありませんでしたから。
 1998年11月、メールサーバーがスパムの被害にあいました。スパム対策をしていなかったので、踏み台にされてエラーメールが大量に届き、スプールがあふれてダウンしたのです。そこで、Sendmail注8を8.6から8.9.1にバージョンアップして対応しました。sendmail.cfを書き換えるために、CFのドキュメントを必死で読みあさって、メールサーバーを3日間止めてしまいました。ただ、これを1998年の時期に経験しておいて良かったのかもしれません。これがもう1年後だと、技術的・社会的ダメージははるかに大きかったと思います。
 そういうわけで、スパム対策はしたものの、結局、自宅から大学のメールの読み書きができないと不便だということで、使いたいプロバイダのドメイン名をRoam Domain注9として設定して対応しました。それもいまからすれば、ずいぶんのん気な話ですが。

Y:POPした後だけメールが送れる設定もありますよね。

吉田:POP before SMTP注10ですね。1999年の10月からはこれにしています。SMTP-AUTH注11の導入も考えていて、1度被害にあったことがずいぶん勉強になっています。

■ラックマウントサーバーの導入とセキュリティおよびスパム対策強化への試み

Y:3日間は研究どころではなかったわけですね。ホントに突然、しかも忙しいときに限ってこういうことになる。

吉田:そうですね。1999年3〜5月、メールサーバーとWebサーバーをノートPC上で運用する体制に切り替えました。新サーバーのOSにはFreeBSD 2.2.7/2.2.8を採用しています。ノートPCの採用理由は、バッテリが入っているので、瞬断に対応できるという判断からです。本当はUPSを使えるといいのですが、予算がなかったのです。
 そのときにSPARCstation 2を予備機とし、1999年12月に完全に退役させました。そして2000年5〜6月、研究室の大部分の端末を、World Axleの「マイクロFIREWALLパーソナル注12」というNATボックスをゲートウェイとするプライベートLAN内に移動しました。そして6月に、Webサーバーのハードディスクがクラッシュしてしまい、新しいノートPCに更新しました。
 ついに2000年の秋に、文学研究科社会学研究室のサーバーのために特別な予算がついたので、まともなハードウェアが買えることになり、メールサーバー、Webサーバー、内部用ファイルサーバーの3台を200万円程度で購入しました。ラックマウントできるサーバー注13を買ったのはこのときが初めてで、ラックの組み立てから全部自分でやりました。

Y:「ラックマウントできるサーバーの購入おめでとう!」ですね。

吉田:そして半年後の2001年4月、私は総合人間学部に異動になりました。このときから、京大内で「KUINS-II注14に接続のグローバルIPアドレス1つにつき、月に1500円」をネットワーク統括部署に払わないといけなくなりました。それはもったいないので、自分の研究室内にゲートウェイをFreeBSD 4.2で設置し、プライベートLANを構築しました。まだそのときは、100BASE-T対応の安価なNATボックス製品がなかったので、自分で作ったほうが安くついたんです。

Y:ラックサーバーや、グローバルIPを節約するためのゲートウェイなど、価値のある置き土産を残されていますよね。その後は、誰かに引き継いだのですか?

吉田:総合人間学部に異動するにあたって、社会学研究室のネットワーク管理の仕事はある程度は引き継ぎましたが、いまでもサーバーのルートとしての仕事は継続しており、とくに、メールサーバーに関しては私が管理しています。リモートから作業できますからね。

吉田:2001年6月に社会学研究室のサーバー群にSSHを導入し、セキュリティを強化しました。それまではTelnetで入れたのですが、それも危なくなってきたので、SSHを入れてTelnetのポートを閉じました。FTPなども、TCPWrappers注15の設定で、特定クライアント以外は入れないようにしました。2002年12月には、ネットワークをKUINS-IIIに移行し、私がいる研究室と社会学研究室の間は、VLAN間通信の設定をして、セキュリティを強化しました。ただし、サーバー群はKUINS-IIに残しました。
 最近やっと、社会学研究室のメールサーバーのスパム対策として「ブラックリストに載っているサイトからのメールをはじく注16」設定をして、かなりカットできるようになりました。それまでは、日に100通以上のスパムが届いていましたね。
 京大では、2003年からウイルスチェック用サーバーがKUINSで稼働しているので、ドメインのプライマリMXをそちらに向けることで、ウイルスはガードできていました。KUINSの管理者に全学的にスパム対策をやってほしいと思ったのですが、「スパムを研究材料にしている人もいるかもしれないし、万が一スパム以外のメールをはじいてしまったときのことを考えると、全学的にやる予定はない」との返事でした。

Y:具体的には、どのような方法を取ったのですか?

吉田:私が受信したスパムメールに対して、それを最後に中継したホスト名(IPアドレス)をすべてリストアップして、それがどこのブラックリストに含まれているかを分析していきました。たとえば、2003年9月19日から20日に私に届いたスパムメール注17は、BoycottとSpamCopのブラックリストに含まれているものがほとんどでしたので、それらを利用しました。
 2001年4月に総合人間学部に来てからは、学部のWebページの管理者となりました。2003年4月に総合人間学部と大学院人間・環境学研究科を合併して、新しい人間・環境学研究科を作るという大幅改組がありました。
 Webページの運営委員会委員として、共生人間学専攻および総合人間学部のページのコンテンツ作りに、かなりの時間を割きました。ページデザインは業者に任せたのですが、業者に要望を出して仕様を決めていきました。

Y:一般的に、業者は画像ばかり使ったページを作りますよね。

吉田:厳密なものではありませんでしたが、レイアウトの指示を最初に出して、できあがってきたものに対しても何度も修正の依頼をしました。

Y:博士論文を含めて多くの論文を執筆する研究活動のかたわら、そして教授となられた現在も、現役のルートさんとして、マメに環境を整備されている姿に頭が下がります。社会学の先生がルートをしてこられたことにも、正直、驚きました。

吉田:基本的に、周囲にはできる人はいませんからね。立ち上げ時にいっしょに作業した学生が例外中の例外でしたね。夜中までその学生といっしょに大学の研究室に残って、あれこれやってました。

■インターネットを通じた人々のつながりと研究テーマがリンク

Y:草の根ネットの運営や、インターネットの世界が研究にリンクし始めたのはいつごろからですか? 1999年には博士学位論文注18を書かれていますよね。

吉田:初めてインターネット関連の社会学論文を書いたのは、1995年12月発行の「京都社会学年報」(文学部社会学研究室の紀要)です。「<仮想社会>のコミュニケーション 〜インターネットをめぐる社会学的一考察〜」というタイトルでした。当時は、まだ「インターネット」という言葉が市民権を得ていませんでしたから、非常に多くの注釈が必要でしたね。

Y:研究キーワードの1つである、ハーバーマス注19の公共圏注20の理論と、パソコン通信やインターネットを通した人々のつながりとの共通点は何でしょうか?

吉田:ハーバーマスの公共圏モデルは、18世紀のヨーロッパにあったサロンやカフェに、市民が集まって芸術や文化などの話をしたのが原点です。最初は、まじめくさって政治の話をするのとは違っていて、もっと新しい空間ができていくのだという、独特のワクワクする雰囲気というのがあったはずです。ネットワークを通した人々のつながりに共通するのは、自発的な集まり方、それも、個人が自分の興味や関心に基づいてつながり合うという部分になります。
 この公共圏というのは、個人の自発的、自立的なネットワークから出発するものなのです。個人が私的生活圏、プライベートな空間の中でそれぞれに見出した問題を、ネットワークを通じて共有し合い、議論し合い、また外部に向かって問題提起していく場が「公共圏」です。やがてそれがより大きな流れとなり、社会的な意志形成につながっていく。このコミュニケーションの流れこそが、われわれにとってより暮らしやすく民主的な社会の基礎となるのです。

Y:とくに中世ヨーロッパでは、裕福な人が芸術家の生活を保障してくれて、それが文化を作ってきたようなイメージがあります。ネットワークの世界も、大学院生や研究者が文化を作ってきたという点で、共通点があるのかもしれませんね。本日は長時間にわたって、興味深いお話をありがとうございました。

SPAM対策は苦い経験から
注1 パソコン通信
モデムを使って、ホストとなるコンピュータとPCとを電話回線で接続し、情報をやり取りできるようにするもの。主にテキストベースでの表示およびコミュニケーションを行える。

注2 草の根ネット
パソコン通信には、企業が運営する商用ベースのものと個人運営のものがあり、前者は商用BBS・商用ネット、後者はローカルBBSまたは草の根BBS・草の根ネットなどと呼ばれていた。

注3 ATコマンド
モデムやターミナルアダプタを制御するためのコマンド群。

注4 WTERM
パソコン通信用クライアントソフトウェア。1992年に電子ネットワーク協議会主宰の「フリーソフトウェア大賞」で通信部門賞を受賞し、1993年には大賞を授賞した。

注5 mmm
パソコン通信ホスト用ソフトウェアの一種。2000年問題未対応などの理由から、Perl 5で記述されたzmmが後継ソフトウェアとして開発されている。
http://www.zob.ne.jp/project/zmm/index.htm

注6 Sun SPARCstation 2
1990年リリース。「ワークステーションの代名詞」といわれるほどのベストセラー機だった。

注7 NCSA httpd
NCSA(National Center for Supercomputing Applications)によって開発された、HTTP(HyperText Transfer Protocol deamon)サーバー。Apacheの開発は、NCSA httpd 1.3をベースにスタートしている。また同研究所のMarc Andreesen氏によって、世界初のグラフィカルなWebブラウザNCSA Mosaicも開発された。

注8 Sendmail
UNIX系OSではほぼ標準といえるほど普及しているメール転送エージェント(Message Transfer Agent)。sendmail.cfは、Sendmailの設定ファイル。CFは、sendmail.cfの生成および編集用ツール。

注9 Roam Domain
ローミング機能の利用を指す。許可条件がゆるいと、スパムメールの不正中継を行ってしまう危険性が増す。

注10 POP before SMTP
自分宛てのメールが届いているか調べないと、メールを送信できないという認証方法。ユーザーは、POPサーバーに接続し、ユーザー名とパスワードによる認証を行ってメールを受信すると、メール送信を行うSMTPサーバーを利用できるようになる。

注11 SMTP-AUTH
SMTP Authenticationの略語。メール送信時にアカウント名、パスワードをサーバーに伝えることでメールサーバーから認証を受ける。

注12 マイクロFIREWALLパーソナル
NAT・DHCP機能などを持つ、低消費電力かつ小型軽量のファイアウォール機器。現在は、「マイクロFIREWALLパーソナル II」が販売されている。
http://www.worldaxle.com/

注13 社会学研究室のラックマウントサーバー
WWWサーバー:Plathome Standard Rack 850、FreeBSD
メールサーバー:Plathome Standard Rack 850、FreeBSD
ファイルサーバー:Plathome Trus1100i、FreeBSD

注14 KUINS-II
京都大学統合情報通信システムKUINS(Kyoto University Integrated information Network System)は、1992年開始のKUINS-I、1997年開始のATMを使ったKUINS-II、2002年開始のKUINS-IIIと進化した。KUINS-IIIでは、全学的にVLANを利用するのが特徴。

注15 TCPWrappers
接続許可IPリストを作成し、それ以外のIPからの接続を許可および拒否を行うというソフトウェア。

注16 ブラックリストに載っているサイトからのメールをはじく
ここでいうブラックリストとは、不正中継(第三者中継、踏み台)を許すメールサーバーの情報(IPアドレス)をまとめた共有データベースのこと。ブラックリストに掲載されたメールサーバーからのメールに対して、同類のスパムメールとして拒否する設定を行っていることを指す。なお、利用しているブラックリストには次のようなものがある。
RBL.JP(http://www.rbl.jp/
ORDB.org(http://www.ordb.org/
Boycott(http://dsbl.org/main
SpamCop(http://www.spamcop.net/bl.shtml

注17 2003年9月19日から20日に私に届いたスパムメール
実際の調査結果がWebページにまとめられていた。

注18 博士学位論文
京都大学大学院文学研究科に提出した博士学位論文を加筆修正した書籍が、現在発売されている。
「インターネット空間の社会学〜情報ネットワーク社会と公共圏〜」
吉田 純著/定価1995円(税込)/世界思想社/ISBN 4-7907-0825-X

注19 ユルゲン・ハーバマス
ユルゲン・ハーバーマスは、ドイツの社会学者・思想家、フランクフルト大学名誉教授。財団法人稲盛財団による京都賞の思想・芸術部門を受賞(2004年度)。

注20 公共圏
公共圏とは、政治権力や経済権力から独立し、自律的かつ合理的な議論を行えるうえ、誰でもそこに出入りできる場とされている。また、そこでの議論自体も万人に対して透明性があるとされる。

私のUNIX #22 〜吉田 純さんのUNIX〜

●OS環境:FreeBSD 4.x-RELEASE、Windows 2000/XP

 十数年前、PC-9801およびMS-DOSユーザーだったころの私にとっては、UNIXは、いわば「MS-DOSに象徴されるちまちまとした日常性」を超えた世界を垣間見せてくれる存在であり、その意味で「憧れ」の対象でした。1989年ごろに初めて触ったUNIXは、京大の大型計算機センターの汎用機に載っていたもので(いまとなってはバージョンもよく分かりません)、自宅から2400bps(!)のモデムでアクセスし、PCの画面にログインプロンプトが出たときの感動は、現在でも不思議と覚えています。
 rootとして初めて触ったのは、1993年に大学の研究室で導入したSun SPARCstation 2に載っていたSunOS 4.1.3でした。その後、Solarisなども少し触りましたが、最初のSunOSでの刷り込みのせいか、ずっとBSD系のUNIXにより親しみを感じてきたように思います。
 そうした経緯もあり、SPARCstation 2の老朽化に伴い後継機とOSを探さなければならなくなったときに、まず第一に候補に挙がったのがFreeBSDだったわけです。現在まで3年半ほどの間、3台のPCサーバーにFreeBSD 4.x-RELEASEを載せ、1度もダウンすることなく安定運用しています。ただ、そろそろハードウェアの更新を考えなければならない時期に差し掛かっているのですが、PC UNIXの世界はLinux全盛となった今日、FreeBSD対応ハードウェアが少なくなってきているのが少々残念ではあります。
 現在の私にとってのUNIXは、ほとんどサーバーOSとしてのそれであり、日常の(rootとして以外の)仕事や遊びに使うクライアントOSは、すっかり大勢に流されてWindowsになってしまっています(少しさみしい気もしますが……)。

●ウィンドウマネージャ:twm

 Windowsに対抗(?)するかのように、新しい高機能のウィンドウマネージャが次々と開発されていることを薄々知ってはいるのですが、rootとしての作業だけを考えれば、昔ながらのシンプルなtwmがベストと勝手に思い込んでいます。マウスだけでウィンドウ間のコピー&ペーストができるのも便利ですし。
 ちなみに、起動時にデスクトップに開くのは、ktermが2つ(それぞれ別のサーバーのシェル)と、アナログ表示をする時計アプリケーションoclockのみに設定しています。

●シェル:tcsh

 最初に触ったのはcshでしたが、コマンド履歴の参照やコマンドラインの編集・補完の機能の便利さのため、現在はもっぱらtcshを使っています。

●シェルの設定

 たいして凝った設定はしていませんが、lsの出力はやはりカラーのほうが見やすいので、colorlsにエイリアスしています。また、プロンプトにはホスト名を出すようにしています(以前、サーバーを間違えてシャットダウンしてしまったことがありますので……)。

●エディタ:vi、elvis、jvim

 現在、UNIX上でのrootとしての作業はほとんどが設定ファイルの編集ですので、viで必要かつ十分と思っています(とてもviの機能のすべてを使いこなしているとはいえませんが……)。日本語の含まれるファイル(CGIのPerlスクリプトなど)を編集するときは、elvisまたはjvimです。ちなみに、Windows上では、テキストエディタとしてはViVi(ヴィヴィ)というviモードを持つシェアウェアを愛用しています。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA007799/vivi.htm
 以前はEmacs/Muleも使っていたのですが、UNIX上で文章(メール含む)を書くことがほとんどなくなったため、現在では使わなくなりました。ただ、文章を書くときのEmacs/Muleのキー操作だけは指に馴染んで残っているため、マイクロソフトのWordのカーソル移動キーをEmacsライクにカスタマイズしていたりします。

●日本語入力:VJE-Delta 3.0 for Linux/BSD

 VJEはMS-DOS時代から手に馴染みきった道具なので、いまだに固執しています(もちろんWindowsでも同様)。X11R6上のみで、コンソールでの入力には対応していないのが残念です。

●そのほかのこだわり

 こだわりといえるほどのものはないのですが、あえていえば、UNIX系OS、それもFreeBSDをサーバーOSとして使い続けていること自体が、私にとってのこだわりということになるでしょうか。その理由は、コストやセキュリティといったWindows系OSと比較してのメリットだけではなく(というかそれも含めて)、UNIXが本来的に持っている、オープンかつ機能的・合理的な情報ネットワークのプラットフォームとしての「思想性」ではないかと思っています。

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Last modified: Mon May 21 13:21:51 JST 2007 by Tomoko Yoshida